アメリカの知財対応に、中国企業が学べる事

2021.04.17

アメリカは、半導体製品の他国の台頭を、安全保障の問題として捉えています。
最近の中国へのアメリカの半導体製品の輸出の制限や、1980年代の日本の半導体貿易戦争は、まさに、この安全保障の問題でした。
現在の中国とアメリカの貿易戦争は、1980年代後半の日本とアメリカの貿易戦争を比べれば、多くのことがわかります。

いまの中国は、昔の日本?

日本は、1975年頃から、半導体製品の量産開発が始まりました。
当時の半導体企業の大手は、テキサス・インスツルメンツ、フェアチャイルド、モトローラといったアメリカ企業が中心になっていました。
そして、1980年代から、半導体の輸出も、日本からアメリカへ、どんどん増えていきました。
日本の高い品質で、かつ、アメリカ企業よりも半額くらい安い半導体製品が、アメリカ企業の収益を、圧迫し初めていたのです。
そこで、アメリカは、1988年に、不公正な貿易国に対する制裁を柱とする法律スーパー301条の設立とともに、知的財産法の解釈の拡大を行いました。
この知的財産法の解釈の拡大が、日本企業の半導体ビジネスの収益に、大きな足枷になりました。

アメリカが知財を保護する理由

しかし、ある国の知財法の運用は、その国ごとに定められた国内法なんですよね。
アメリカの国内法が、外国企業の半導体ビジネスに、一方的に影響を及ぼす事はないのではないか、と思うかもしれません。
しかし、米国知財の法律で請求できる損害賠償金は、現在のみならず過去7年前の行為も対象になります。

問題は、過去の7年間に米国内のマーケットで販売した、半導体製品への賠償金なのです。
そのため、アメリカの裁判所が、米国企業が保有している特許の解釈を拡大したり、米国の特許庁が存続期間を伸ばすことで、幅広く長い損害賠償による収益を米国企業は、得ることができたのです。
そのため、日本企業は、過去の米国内の販売収益に対して、巨額の損害賠償金額を、米国企業に支払わなければいけなくなりました。

現在の中国とアメリカの貿易戦争は、1980年代後半の日本とアメリカの貿易戦争を比べれば、多くのことがわかります。
多くの中国企業が、1980年代後半の日本企業のように、米国で知財訴訟に、もうすでに、巻き込まれています。

懲罰的な色合いが濃い米国知財運用

アメリカの法律は、時として、自国の利益のみを優先するために、解釈が大きく変わります。
多かれ少なかれ、多くの国がこのような自国優先の法律の運用をしていますが、アメリカは、その中でも懲罰的な色合いが濃いのです。
懲罰的な法律運用で代表的なものが、アメリカの知財法だったんです。
中国企業を被告とした、知財訴訟の状況は、2019年から顕著になっています。

かつて、日本の企業が対応に非常に困った知財の運用が、存続期間の延長に対する様々なアプローチです。
当時のアメリカの半導体大手のフェアチャイルド社は、1985年頃には生産すべき新製品がなくなっていました。
フェアチャイルド社は、本業のみでは赤字が続いていましたが、特許のライセンス収入が、かろうじて会社を支えていたのです。
しかし、そのフェアチャイルド社の特許も存続期間が切れてしまい、倒産しそうになっていました。
このような状況を見ていた、他の米国の半導体企業は、ものすごく焦りました。
自分たちも、フェアチャイルド社のように、所有している知的財産権の存続期間が切れてしまい、日本企業にアメリカの半導体市場を奪われてしまうと、危機感を感じたのです。
そこで採用したのが、自分たちの特許の存続期間を、実質的な延長するアプローチです。

不備を是正せずに、米国企業を保護

昔のアメリカの特許制度のもとでは、制度に不備があり、補正手続きや継続出願を繰り返すことで、発明の出願日を維持しつつ、長く発明の内容を非公開のままにおくことが可能でした。
特許権の取得を、意図的に先送りし、技術が普及するのを待ってから、審査の手続きを進めます。
そして、基本技術をカバーする特許権が、もう当たり前になった時点で、成立する方法が運用され始めました。

つまり、その出願の内容が、ある日突然公開されて、その内容を利用している多くの企業に、多額の特許実施料を請求するのです。
この様な不公正な制度も、米国企業のために、そのまま運用されてきました。
そのため、日本企業は、巨額な賠償金を、突然支払わないといけなくなる、という例がしばしば見られました。

日本企業知財部の失敗

どうして、当時の日本企業は、不公正なアメリカの特許制度を、逆に利用することができなかったのか、自分たちも特許をいっぱい出せば、アメリカの特許制度を利用できたのではないか、と疑問に思いますよね。
当時の日本企業は、国内には多くの特許を出していたのですが、アメリカにはそれほど、多くの特許を出していなかったのです。

理由は、大きく2つあります。
まず、一つ目は、アメリカの制度を正しく理解していなかったのです。
日本の知財の専門家は、当時、日本の知財制度が正しくて、アメリカの知財制度は間違っていると信じていました。
アメリカの特許制度は、根本的に間違っており、この様な間違った制度に対応する必要などないとまで、考えている日本企業の知財担当者もいました。
この様な、間違っている制度運用は、すぐに是正されると信じていたのです。

しかし、実際には、アメリカ特許方の不備は、1995年にアメリカの特許制度が改正されるまで、放置され続けました。
アメリカのハイテク製品に対する、他国への圧力は、この知財法の運用により実行されていました。
日本の多くの知財担当者は、この様な政策的な考えに気が付かずに、単なる法律の欠陥だと認識してしまったところに、大きな間違いがあります。

通常3つの異なる複数事務所を経由する、日本の米国出願

さらに、日本企業が、アメリカ特許を多く出願できなかった理由の二つ目は、日本の特許出願に比べ、アメリカの特許出願は、およそ3倍以上の費用がかかってしまっていました。
この理由は、まず、日本の特許事務所に米国出願用に作成した明細書を作成させ、翻訳会社に英語に翻訳させて、その内容を費用の高い大手の米国法律事務所を通じて、出願していたからです。
多分、この方法は、いまでも変わりません。

日本の明細書を元に米国向けの原稿を、日本の法律事務所に作成させるのに、当時はおおよそ50万円くらいかかり、それを翻訳するのに、また50万円くらいかかっていました。
その内容を、ニューヨークやサンフランシスコにある、費用の高い大手の米国法律事務所を通じて、出願していたので、さらに50万円くらいかかっていました。
つまり、出願書類を作成するだけで、150万円くらいは少なくともかかっていたのです。
これでは、そんなに多くのアメリカ出願を出すことができませんでした。
複数の法律事務所を使っていたので、費用も時間も余計にかかっていました。

コスト・スピード重視の米国企業

一方で、アメリカ企業は、費用の高い大手の米国法律事務所は、出願系では使わずに、社内のスタッフが出願原稿の作成を行なっていました。
それを、地元の安い法律事務所に頼んで出願していました。
このため、タイミングよく安価に、特許を出願できていました。

基本的に、出願業務に対して、日本企業は、費用の高い大手の米国法律事務所を、今でも選んでいます。
その一方で、アメリカ企業は、地元の安い法律事務所に頼んで出願しています。
これは、費用が高くても大手の法律事務所の方が良いだろうという、日本企業の保守的な考え方がよく現れています。

一方で、アメリカの企業は、訴訟に関しては、費用が高くても大手の法律事務所を採用しますが、出願系では小回りのきく専門の事務所を選ぶのです。
この様な誤った、日本企業の認識が、日本企業のアメリカ特許出願の件数の増大を阻んできました。

当時の担当者の考え方としては、もしアメリカの訴訟で争うアメリカ特許に、何らかのミスが出願段階であったら、自らの責任問題になりかねないという、恐れも多くありました。
そして、出願専門の大手の法律事務所に、そのまま訴訟も行わせるという、更なる間違いを行なうこととなりました。
出願を担当しているので、発明の内容に精通していると考えたのです。
アメリカの訴訟手続きは特殊なので、出願系と訴訟系で、法律事務所がはっきり分かれるということも知らなかったのです。

アメリカの法律は、時として、自国の利益のみを優先するために、解釈が大きく変わります。
アメリカは、特に懲罰的な色合いが濃く、代表的な懲罰的な法律運用がアメリカの知財法でした。
今後の中国の企業は、日本企業が犯した過ちを参考に、今後のアメリカの法律運用に対応してもらいたいと思います。

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